Amazon Photosを見返して過去を振り返りがちな私
これはAmazon Photosの写真がきっかけで自分の過去をしみじみ思い出していましたという長文ポエム独り言記事です。有益な情報はないのであしからず。
Amazon Photosについて
Amazon Photosは言わずも知れたアマゾンのサービス。
2022年5月現在、写真は無制限で保存しておくことができる。動画は5GBまで無料で保存することができるというストレージサービス。(写真をよく撮るので無制限は大変ありがたい)
スマホにアプリを入れていて、開くたびに端末の情報とクラウドの情報を照合して、差分をアップロードしてくれる。
アプリを開いている間に写真のアップロードがされるので、私は気づいたときにアプリを開くようにしている。
〇〇年の今日
「〇〇年の今日」という機能がAmazon Photosにはあり、過去にアップロードした写真の中から、日付が同じものを抜粋して表示してくれる機能がある。例えば「2021年の今日」では2021年に撮影※された写真を見ることができる。
※あとからアップロードした写真もしっかり分類されたので、アップロードされた日付ではなく、写真のメタ情報を利用して日付を判定しているよう
写真を撮る習慣ができてから、約10年分ほどの写真がアップロードされているので、写真を見返すたび何かしらの「〇〇年の今日」の写真を見ることができる。
見ると、今はもう連絡を取らなくなってしまった友人と写っている写真や、引っ越し前に習慣的に訪れていた懐かしい場所の写真があったりする。
戻れない過去が鮮明に思い出されて懐かしさと同時になんだか寂しい気もする。
過去に執着するという感じではなく、「ああ、こんな時もあったな。こんなことしてたっけ。」と今の自分にはない自分がいたり、今の環境にはない環境が思い出の中にあったり(当然その逆も然り)、今と過去を比較してそう感じるのだろう。
繰り返される思い出し作業
「〇〇年の今日」を一通り見終わったあと、必ず関係ない日付にまで飛んでいって「こんなこともあった。こんなものも食べた」などと思い出し作業に没頭してしまう。大掃除をするときに何故か卒業アルバムを見返してしまう経験に似ているかもしれない。
毎日振り返っていればそんな時間はかからないのだろうけど、たまに見返すので1から思い出し作業が始まる。オーバーヘッドが大きい。
ただ、思い出すことはできても、それを忘れずに日常生活を送るのはなかなか難しそうなので、その辺は仕方なさそう。
さいごに
こうした思い出しの作業は、一見思い出に浸る一時的な気休めで時間ばかりを消費してしまうように思うが、同時に人生を豊かにするために必要なものだとも思う。
思いがけず、忘れていた大切なことを思い出すかもしれない。
そのとき聞いていた音楽だったり、そのとき読んでいた本だったり、流行っていたゲームだったり。
うまく表現できないが、(思い出自体も当然大切だが)思い出自体ではなく、案外そういったオマケのほうが自分の人生を豊かに彩ってくれるものだ。