何かを何となく嫌うことで機会を失っている
理不尽に何かを嫌っていることがある
- なんとなくこの歌手はきらい
- なんとなくこのコンテンツは嫌い(manga, anime, etc)
こういった態度を自分はとったことがある。もしかしたらこれを読んでいる人もいるかもしれない。
なんとなく、特に強い理由はないのだけど、毛嫌いしてしまう。何が嫌なのか分からない。
生理的に受け付けないという言葉もあるけど、そういうものとは違う、食わず嫌いのような状態。
自分がそうだったというわけではないが、
- 米津玄師がなんとなく嫌い。なんか分からないけど嫌いだから聞かないし、流れてきたらその場から離れてしまう。
- 鬼滅の刃ってすごい人気だけど、読んだことはない。みんなハマっているみたいだけど、私はなんとなく読むのを、見るのをよしておこう。なんとなく楽しめる気がしない。
こういった態度は基本的には周りの人には一切影響しない。自分が何かを嫌いでも、自分以外の誰かに影響を及ぼすことはなかなか考えにくい。
「これが嫌いだ!!」と高らかに宣言していたら、周りの人から顰蹙を買ってしまうかもしれないが、なんとなく嫌いだから何となくそれを避けるという行為自体は誰にも影響しない、自分だけの問題である。
人の話題に乗れない、話についていけなくなる
もちろんそのままでも何も問題はないだろう。何でも好きな人なんて存在しない(だろう)し、そんな人が仮にいたら、好きとか嫌いというよりは何に対しても無関心な状態なのかと疑ってしまうかもしれない。
ただ、この種の何となく嫌いだから避けるという行為は良いことはあまりないように思える。
上の例でいうと、例えば出先でたまたま米津玄師の歌が流れてきて、気分を害されるのは勿体無い。別に嫌いな明確な理由はないのに、自分の中で嫌いと決めつけてしまっているがために、歌が聞こえてきた瞬間防衛体勢を取ってしまうだろう。
鬼滅の刃だったら、広い年代の人に受け入れられているだろうから、人と話していれば度々話題に上がることだろう。その度、適当な返事をするなりして受け流していても、良い気分にはならない。明確な嫌う理由なんてないのにも関わらず、だ。
極端に一つの行動を嫌う場合も然り
- 絶対にタバコは嫌い。副流煙も絶対に吸いたくないので、めちゃくちゃ防御策をとっている
- 絶対に○○社の製品は使わない。買わない。話題に出しただけでも不快感を示す
こういった極端な人は私だったら避けてしまう。見えないところで機会損失につながっているのではないか。何かが嫌いというネガティブな情報を極端に出すよりは、何かがとても好きというポジティブな情報を出すのが良いのではないだろうか。
結局、嫌いなものはあっても良いけど、バランスが大事だよねということ。